
こんにちは、atteyaaのマツイです。
伸び代ってなんでしょね。
そんなことを考えました。
若者には伸び代しかない。
そんなことは、たぶん誰も疑わない。
経験が少ないからこそ、
これから身につけられるものがたくさんある。
失敗もどんどん財産になるわけで、
「この子はこれからどうなっていくのか」と楽しみになることが多々ある。
一方で、同じように経験が浅く、同じように未完成なのに、
なぜか応援したくなる若者と、
「おいおい、大丈夫か?」と不安になる若者がいる。
この違いは何だろうと考えてみると、
「現在地」という考え方が大事なのではないかと思ったのです。
たとえば、
今いる場所から富士山を目指すとする。
(ベタな例えですみません。)
大阪にいるのか、東京にいるのか、
それとも、すでに五合目まで登っているのか。
それが分からなければ、
どちらに向かえばいいのかも、
何を準備すればいいのかも分からない。
登山靴が必要なのか、
その前に新幹線の切符を買うべきなのか。
場合によっては、まず家を出なきゃ。
なんてこともあるかもしれない。
自分は何を分かってないか、それが分からない。
そんなことは若者にとっては避けれないこと。
ところが、
分かったふりをして
現在地を確認しないまま、
「必ず山頂に立ちます」
「山頂から見える景色を変えたいんです」
と、勇ましい言葉を並べる若者がいる。

もちろん、夢を語ることは悪くはないし
むしろ若者は未来に希望を持って欲しい。
少しくらい無謀なほうが若者らしくっていいなとも思う。
でも、今どこにいるか分かっていない
分かろうとしていない若者の語る山頂の話は、
今も未来も朧げで、それを語っている本人以外は楽しくないことが多い。
逆に、現在地を理解しようとしている若者の言葉には、
何とも不思議な説得力と魅力があったりする。
「今の自分には、この力が足りません」
「ここまではできるんですけど、ここから先がまだ不安です」
「だから、まずはこれに挑戦したい!」
一見すると地味に見えることもある。
大きなことを言っているわけでもない。
でも、自分の未熟さと向き合おうとしていることが伝わる。
現在地を知るという営みは、
自分を小さく見積もることではない。
謙虚であれと言っているわけでもない。
大切なのは、できていることと、できていないことを、
なるべく正確に見ることだと思う。
誰かに指摘されたとき、反射的に言い訳をするのではなく、
「もしかすると、自分からは見えていない何かがあるのかもしれない」
と一度立ち止まってみる。
これが案外、難しい。
現在地には、できていない自分や、
期待されているほどには結果を出せていない自分もいるわけで、
そこを見るのは、辛いことが多い。
だからこそ、その人の強さが表れるわけで、
伸び代とは人生の余白とはまた違う意味なのだと気づくわけです。
自分は今、どこに立っているのか。
ここから、何と向き合わなければならないのか。
次の一歩は、どこに向かって、何をするのか。
未来は、現在地からしか始まらない。
読んでくれてありがとうございます。
旅って何だろう?
キャリアって何だろう?
人生って何だろう?
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