
こんにちは、atteyaaのマツイです。
夏になると、甲子園を見る。
別に全試合を追いかけるほど高校野球に詳しいわけではないけれど、
夏を感じたくて、なんとなく見る。
そして毎年、ちょっと見ていられなくなる瞬間がある。
エラーだ。
しかも、どうでもいい場面ではない。
終盤、同点、ランナーがいる。
ごく普通のゴロが飛んできて、それを弾く。
送球が逸れる。
フライを落とす。
その一球で試合が決まってしまうこともある。
やった本人は、その場にしゃがみ込む。
泣いている仲間もいる。
スタンドでは親御さんらしき人が祈るように見ている。
もう、見るのが辛い。
見ているこっちまで泣きそうになる。
というか泣く。
でも最近、少し違うことを考えるようになった。
あの選手は、野球が下手だったのだろうか。
そんなわけがない。
甲子園に出ている時点で、私なんかが想像できないくらい練習している。
小学生の頃からボールを追いかけて、
中学、高校と何千回、何万回とゴロを捕ってきたはずだ。
おそらく、あの打球だって普段なら99回捕れる。
でも、100回目に落とした。
しかも甲子園で。
人生、なかなか意地が悪い。
ここに、仕事でも人生でもかなり大事なことがある気がする。
僕たちはつい、
「準備すれば大丈夫だ」
と信じている。
もちろん準備は大事だ。
練習する。
勉強する。
資料を作る。
何度もシミュレーションする。
準備不足で失敗したなら、まあ反省もしやすい。
「もっとやっておけばよかった」で済む。
厄介なのは、準備したのに失敗することだ。
ちゃんと練習した。
体調も整えた。
自信もあった。
これまで何度もできていた。
それでも、ミスをする。
人間というのは、どうやらそういうものらしい。
本番になると緊張する。
観客がいる。
期待される。
失敗したくないと思う。
すると普段なら無意識にできることを、急に意識し始める。
ボールを捕るだけなのに、
「絶対捕らなければ」
が襲ってくる。
手が少し硬くなる。
足が一歩遅れる。
人間の身体は精密機械みたいでいて、まあまあ気分で動く。
困ったものだ。
でも、だからといって、
「準備しても失敗するなら意味ないやん」
という話ではない。
むしろ逆なんじゃないかと思う。
準備というのは、失敗しないためだけにするものではない。
失敗したときに、戻ってこられる人間になるためにするものでもある。

甲子園でエラーした選手が、そのあとまた守備につく。
次の打球が飛んでくる。
怖いと思う。
もう一回来たらどうしよう、と思っているかもしれない。
それでも構える。
あれは結構すごいことだ。
仕事でも似たようなことがある。
大事なプレゼンで頭が真っ白になる。
準備した提案が全然刺さらない。
信頼していた人に迷惑をかける。
自信のあった仕事で失敗する。
そのとき、
「自分には向いていない」
と思ってしまう。
でも、その一回の失敗は、本当に能力の証明なのだろうか。
甲子園でトンネルした選手を見て、
「こいつ野球下手やな」
と思う人はあまりいない。
僕らは知っているからだ。
ここまで来るために、どれだけ積み重ねてきたのかを。
なのに、自分が失敗すると急に、
「自分はダメだ」
と人生全部を総括し始める。
そもそも、本番というものは、
完璧にできる場所なのだろうか。
もしかすると本番とは、
準備してきた自分と、
準備ではどうにもならない世界が、
ぶつかる場所なのかもしれない。
風が吹く。
イレギュラーする。
緊張する。
相手も必死である。
人生には、自分ではコントロールできないものが結構ある。
だから、失敗したかどうかだけで、
その人の価値を決めるのは少し乱暴だ。
大事なのは、エラーをしない人になることではなく、
エラーをしても、次の打球に構えられる人になることなのかもしれない。
もちろん、できればエラーはしたくない。
私もしたくない。
できるなら全部うまくいってほしい。
でも残念ながら、それはたぶん無理で
どれだけ準備しても、人生のどこかで僕らはそのシーンを迎える。
ごく普通のゴロが飛んできて、
「あれ?」
となる。
そのときに、人生が終わったみたいな顔をしなくていい。
一個落とした。
それだけだ。
次の打球は、まだ飛んでくる。
読んでくれてありがとうございます。
旅って何だろう?
キャリアって何だろう?
人生って何だろう?
そんな疑問を感じたらぜひatteyaaを覗いてみてください。




