
こんにちは、atteyaaのマツイです。
今日はタイトルのとおり、心の病について踏み込んでみます。
「心が病む」とは、医学的にはかなり幅のある言葉です。
たとえば、うつ病であれば、気分の落ち込み、興味や喜びの低下、
不眠、食欲の変化、疲労感、集中力の低下、
自分には価値がないという感覚などが一定期間続き、
本人の苦痛や生活上の支障が大きくなった状態を指します。
つまり、医学的に見れば、心の病は「気の持ちよう」ではありません。
感情、思考、行動、睡眠、食欲、身体感覚などに変化が起こり、
仕事や家庭、人間関係といった日常生活に影響が出ている状態です。
必要に応じて、休養、薬物療法、精神療法などの支援を受けるべきものです。
そのうえで、ここからは医学的な根拠がある話ではなく、
私自身の感覚として「心が病むとはどういうことか」を考えてみたいと思います。
身体の病気であれば、菌やウイルスなど、何かしらの異物が原因になることが多い。
おそらく心も、どこか似たところがあるのではないかと思っています。
心が何か悪いものを捕らえてしまう。
あるいは、捕らえなくてもよいものを、深く抱え込んでしまう。そういう状態です。
身体は免疫力が落ちると、異物の侵入や繁殖を許しやすくなります。
心も同じで、心の免疫のようなものが落ちたとき、悪い何かを拾いやすくなるのではないか。
ただし、心の免疫が落ちる理由は、身体とは少し違うように思います。
私が思うに、それは「本来の自分」と「現状の自分」の不一致です。
この不一致が長く続くと、心の免疫が低下し、
いわゆる心を病んだ状態に近づいていくのではないでしょうか。
その不一致には、大きく三つのパターンがあると思います。
一つ目は、自分が思う「ありたい自分」そのものが、現実の自分とズレている場合です。
二つ目は、他者や周囲から自分のあり方を否定される、あるいは本人がそう感じてしまう場合です。
三つ目は、その合わせ技です。自己認識もズレているうえに、他者からの評価や干渉によって、さらに歪みが大きくなるケースです。
特に一つ目は、とても大事です。
人は誰でも「自分とはこういう人間である」という自己認識を持っています。
しかしそこには、実際の自分だけでなく、「こういう人間でありたい」という願望も混じります。
この願望が、自分を律する力として働いているうちはよいのです。
けれど、願望と現実を客観視できなくなり、「ありたい私こそが私だ」と思い込みすぎると、致命的なズレが生まれます。
このズレは、自分の中だけで完結しません。
やがて、自分が思う自分と、他者が見る自分との間に乖離が生まれます。
期待した役割が回ってこない。自分では頑張っているつもりなのに評価されない。
かけてもらえる言葉が、期待していたものと違う。
そうした出来事が続くと、「なぜ?」という問いが、自分にも他者にも向き始めます。
そのとき、人は自分を守ろうとします。ズレを埋めようとします。
けれど、その守り方や埋め方がうまくいかないと、心の中に悪い何かが生まれる。
それが、心の病の入口なのではないかと思うのです。
二つ目も同じです。
ある程度、自分を正しく理解できていたとしても、他者から強い否定を受けたり、
自分を構成している大切な部分を土足で踏みにじられたりすると、心は大きく揺らぎます。
三つ目はさらに厄介です。
自己認識が弱く、すでにズレている状態に、攻撃的なフィードバックや過剰な干渉が重なる。
そうなると、自分というものの輪郭が崩れていきます。
いずれにしても、心の不協和を整えようとする過程で、悪い何かを捕まえてしまうこと。
私はそれが、心を病むということではないかと考えています。
では、予防のために何ができるのか。
一つは、心がざわついた出来事を書き出すことです。
嬉しかった。嫌だった。楽しかった。つらかった。まずはそう書く。
そして、それはなぜかを三回ほど掘り下げる。
たとえば、「褒められて嬉しかった」。
なぜか。
自分が大切にしている努力を認めてもらえたから。
さらに、なぜそれが大切なのか。
それは自分にとって誠実さや責任感に関わる価値観だから。
さらに、なぜその言葉が響いたのか。
自分が見てほしかった部分を、具体的に見てもらえたから。
これは、「理想の自分」と「現実に起こったこと」の答え合わせです。
差分がプラスなのか、マイナスなのか。
その差分を客観視することで、自分とはどういう人間なのかが少しずつ見えてきます。
大事なのは、「理想の自分」を固定しすぎないことです。
日々の答え合わせによって、理想の自分そのものも更新していく。
そうすれば、自己認識が致命的にズレることを防ぎやすくなります。
もう一つは、ただ心を整え、自分の内面を見つめる時間を持つことです。
禅のような取り組みと言ってもよいかもしれません。
このときは、先ほどのように分析する必要はありません。
静かに座る。呼吸を整える。
すると、いろいろな雑念や想念が出てきます。
その思いに、良いも悪いもありません。ただ、それを丁寧に扱う。
これは、「理想の自分」と「現実の自分」を照合する行為ではありません。
むしろ、自分というものに、理想も現実もない。
ただ、いまここにそういう思いがある。そのことを知る行為です。

少し難しい方法かもしれません。
ある程度の人生経験も必要かもしれません。
ただ、どちらにも共通しているのは、「私」とは不確かで、移ろうものだという前提です。
自分は固定された存在ではない。
日々変わり、揺らぎ、時にズレる。
だからこそ、そのズレに気づく時間が必要なのです。
心が悪い何かを捕まえてしまう前に、自分の内側で起きている小さな不協和に気づくこと。
それが、心を守るためのささやかな手立てになるのではないかと思っています。
少しでも、誰かの役に立てば幸いです。
読んでくれてありがとうございます。
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