
こんにちは、atteyaaのマツイです。
若さとは、何だろう。
長い間、若いということは、年齢が低いことだと思っていた。
経験が少なく、知識が乏しく、社会の仕組みをよく知らない。
つまり、未熟であること。それが若さなのだと。
だが、どうも違う気がする。
人は歳を重ねるにつれて、
扱う情報が変わっていく。
子供の頃、新聞を広げる父親は大人に見えた。
経済や政治について話す地域のおじさんたちもそうだった。
彼らは自分の知らない世界を知っていた。
難しい言葉を使い、一人では解けない問題について考えていた。
大人になるとは、そういうことなのだと思っていた。
今ではスマートフォンひとつで、世界中の情報にアクセスできる。
経済、政治、戦争、金融、テクノロジー。
年齢を重ね、社会的な責任を負うことで、さらに多くの情報が与えられる。
大人は、子供よりも多くの情報を持っているのだ。
では、その情報をすべて奪ったらどうなるのだろう。
人の少ない離島に行き、スマートフォンの電源を落とす。
テレビも新聞も本もない。
仕事の連絡も、ニュースも、誰かの意見も届かない。
そこには、ただ自然と自分だけが残る。
そんな時間を過ごしてみた。
私はひたすら歩いた。
歩きながら考えた。道端に落ちていた木の枝を拾った。
地べたに座り、蟻が何をしているのか、しばらく眺めていた。
誰かの歌を歌った。
やがて飽きて、自分で歌を作り、それを歌った。
特に意味はなかった。
誰かに評価されるわけでもない。
何かの役に立つわけでもない。
生産性なんてものは、そこにはない。
ふと気づく。
これは、子供だ。
子供がやっていることと同じだ。
子供は、道端の石ころひとつで遊ぶ。
蟻の行列を何十分も眺め、
意味のわからない歌を作り、それを何度も繰り返す。
誰にも教わっていないのに、
自分で考え、遊びを発明する。

大人になった私は、
外から与えられる情報を失った途端、同じことを始めた。
だとすれば、大人と子供を分けているものは何なのだろう。
知識だろうか、経験だろうか、責任だろうか。
それらは社会を生きるために必要なものかもしれないが、
人間の本質ではないのかもしれない。
私たちは成長するにつれて、何かを知ることに夢中になる。
正しい答えを探し、効率的な方法を学び、
誰かが作った価値基準で自分を測る。
その一方で、自分で問いを作ること、
自分で遊びを発明することを、少しずつ忘れていく。
それを大人になることだと呼ぶのなら、ずいぶん奇妙な話だ。
若さとは、年齢のことではないのだと思う。
誰かが用意した世界を消費するのではなく、
自分で世界を発見しようとすること。
それが若さなのではないか。
社会に出れば、膨大な情報が押し寄せてくる。
知らなければならないこと、
覚えなければならないこと、
従わなければならないこと。
だからこそ、その前に知っておいてほしい。
情報がなくても、人は考えられる。
何も与えられなくても、人は遊べる。
そして、何者でもなくても、人は世界を発見できる。
子供とは、未熟な大人ではない。
私たち大人が忘れてしまった、人間の原型なのかもしれない。
読んでくれてありがとうございます。
旅って何だろう?
キャリアって何だろう?
人生って何だろう?
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